サーフィン

サーフィンの歴史--3千年前のペルーから9世紀の中国・第二次世界大戦まで

サーフィンの歴史を解説

日々サーフィンの歴史を調べているセネ山( @afsurf1 )です。

「サーフィンはいつから始まったの?」

「サーフィンの起源と歴史を知りたい」

この記事は、そんな疑問にお答えする永久保存版の内容です。

波野リカ
ブログの登録よろしくです♪

セネ山
YouTubeはじめました!

貴重なアフリカのサーフィン情報をお届けしますので、チャンネル登録よろしくです◎

読むメリット

この記事を最後まで読むと、

  • ポリネシアより先にサーフィンの存在が確認できた場所
  • 中国での意外なサーフィンの歴史
  • サーフィン発展の歴史

などを知る事ができます。

なお、以下の目次を見ると、この記事の概要が分かります。

【サーフィンの歴史】元々人類は「ボディサーフィン」をしていた

人間が泳ぐ事を始めてから、ボディサーフィンをする人が出てくるのは自然な流れ。

という事で「人類史上最初の波乗りは、ボディサーフィンだった」と言えます。

ちなみに、ボディサーフィンって実は結構すごくて、今ではチューブライディングができる位にレベルも上がっているんですよ。

普通にすごすぎる…笑

 

【サーフィンの歴史】3千年前に波乗りしていたペルーの人々

「サーフィンの発祥はポリネシア」と広く信じられていますが、実はポリネシアに人類が到達するよりもはるか昔の紀元前1,000年頃、すでにサーフィンの存在が確認できた国があります。

それは…

波野リカ
世界遺産マチュピチュでおなじみの「ペルー」です

ペルーの3千年前の陶器に「Totora(トトーラ)」と呼ばれる水草(葦)で作られた「トトラの馬(Caballito de Totora)」と呼ばれる乗り物でサーフィンをしている様子が描かれています。また、3000年の歴史を持つヴィル文化の儀式用の船にも、その様子が描かれています。

実際のその乗り物と、波に乗った様子の動画を発見しました↓↓

サーフィンの華麗さから、昔は「王のスポーツ」として、王が嗜む、もしくは王室に披露するスポーツとして栄えたと言われています。

ペルーの漁師の人々は、トトラの馬に乗ってサーフィンする事を「乗馬」と呼んでいたとか。

(参考:ポリネシアのハワイには、西暦400年頃まで人は住んでいませんでした。ペルーには、考古学者によって証明された通り、紀元前1000年頃からサーフィンに関する考古学的・文化的な証拠があります。)

 

【サーフィンの歴史】ポリネシアではライフスタイルの一環に

はっきりとした証拠があるわけではありませんが、西暦400年頃にはサーフィンのようなものが存在していたと考えられています。

「海の民」とも呼ばれる古代ポリネシア人は、アウトリガーカヌー(以下の動画参照)という、片側に浮きのついた舟を使い、外洋まで出て漁を行っていました。

漁が終わり陸に戻る際、起きている波にこのカヌーで乗った事で「波乗り」の着想を得て、木の板で波に乗るようになったと言われています。

サーフボードの原型となったその木の板の事は「オロ」や「アライア」と言います。

アライアでサーフィンをしている様子は以下の通り。マニューバーがめっちゃカッコイイですね。

ポリネシアの人々は、森でサーフボードに適したちょうどいい固さの木(コア、ウィリウィリ、ククイ等)を探しました。

その木に祈りと空の魚を捧げた後、ボードの原型(今でいうブランクスのようなもの)を作ります。

森から運ぶのが大変な事もあり、ある程度小さくするように気を付けたそうです。

その後、ビーチでシェイプを完成させました。

 

ハワイにあるニイハウ島には、以下のような言い伝えがあります。

ある日少年は、母親が料理をするための薪切りを頼まれていましたが、サーフィンに出かけ、料理に必要な量を用意しませんでした。母は怒り、父親が彼を叱ってくれると思っていましたが、父は母に「サーフィンは、先祖代々が行ってきた伝統的な事です」と言って息子を擁護した

(参照)Kumakahi(英語)

そうです。

セネ山
現代日本でそんな事したら、完全に奥さんに見放されそうですね(笑)

ちなみにハワイには、サーフィンにまつわる以下のような言葉があります。いかにサーフィンが盛んだったか分かりますね。

ハワイのサーフィン用語

Heʻe nalu:サーフィン。ボードに座ったり、座ったり、ひざ立ちしたり、立ったり、片方の膝を上下に動かしたり、といったパフォーマンスをした。

Heʻe puʻe wai:リバーサーフィン。

Pākāwaʻa:アウトリガーカヌーサーフィン。

Kaha nalu:ボディーサーフィン。

Pae poʻo:ボディーボーディング。昔は「papa liʻiliʻi」(小さなボード)と呼ばれていました。

Heʻe one:砂滑り(今でいうスキムボード)。走ってビーチサイドの波に突っ込んで滑る。

 

【サーフィンの歴史】9世紀の中国にはサーファー「弄潮児」がいた

日本ではほとんど知られていませんが、実は昨年、衝撃的な本が出版されました。

それが『Children of the Tide: an exploration of surfing in dynastic China(直訳:潮の子どもたち:中国王朝でのサーフィンの探求)』。

2019年5月に出版された、中国の波乗りの歴史を記した面白い本です。

(英語ですが、Kindle電子書籍で千円ちょっとで買えます)

著者のイタリア出身のニック・ザネラ氏は、イタリア出身の編集者・サーファー。

大学で中国語を学び、中国語の通訳として活躍した後、イタリアのサーフィン雑誌『Surf News』の編集に携わった彼ですが、その後海南島に移り、中国で誰もサーファーがいない無人のブレイクでの波乗りを楽しんでいました。

2006年、ニックは海南島からチベットのエベレストベースキャンプまでトレッキングに行き、途中でいくつかの仏教の僧院を訪問しました。

その寺院には、なんと30人以上が波の上に乗っている粘土製のレリーフがあり、その中には「横向きで、完全にサーフィンの乗り方で波に乗っている人」の姿が。これを見たニックは「ポリネシアとは異なる起源のサーフィン文化に違いない」と衝撃を受け、中国のサーフィンの歴史を研究しはじめました。

中国のサーフィンの歴史と弄潮児の紹介

中央上部の男性。数メートル先の波のフェイスを見ながら波に乗っている。完全にサーファー…

出典:The story of the "Children of the Tide"

https://www.surfertoday.com/surfing/the-story-of-the-children-of-the-tide

研究の結果、中国では波が良い時に、皇帝(王)のために「弄潮児」と呼ばれる者たちが波乗りを披露していた事が分かりました。

また、中秋節(中国では春節に次ぐ有名な伝統的行事)に、川で起きた波に、入れ墨をした数百人の水兵達が「波を踏んで(波乗り)」「近づいてくる波に向かってパドルし」「何百もの技を披露した」という記述のある文献も発見されました。

(完全にリバーサーフィンですねw)

また、サーフィンは「潮の神(海の神)に体を捧げる事」とみなされ、神の荒れ狂う魂(大波)をなだめ、災難を防ぐことができる、と考えられていました。

「儀式」という名目にはなっていますが、実際は、純粋に波乗りを楽しんでいる様子も確認されました。

セネ山
ハワイの件と言い、サーファーは遊ぶ言い訳が上手いですねw

そのような歴史がありましたが、川の土手の工事を行って以来、サーフィン中に死者が出るようになり、中国当局はサーフィンを規制するようになりました。

(ですが、実際は1980年頃まで地元の漁師によってこっそりサーフィンの伝統は続いていたそうですwさすがサーファー、波に貪欲ですw)

 

【サーフィンの歴史】ポリネシアでのサーフィンの歴史は一度途絶えかけた

ポリネシアで文化にまで発展したサーフィンですが、1800年前後からキリスト教宣教師などがポリネシアに移住するにつれて、「先住民の野蛮な文化だ」と言い、彼らのボードを焼いてしまった事で、文化としてのサーフィンは急速に衰退する事になります。

(こうした過去の歴史を見ると、「急にやってきて現地の文化を破壊する宣教師の方がよっぽど野蛮だろ…」って思ってしまいますね)

19世紀後半になると人口減少とともにサーフィン文化は途絶えかけ、ハワイ島ではほぼ無くなったそうですが、それでもオアフ島のカレワウェヘ、マウイ島、カウアイ島などの島々では少数のサーファーが残っていたそうです。

 

【サーフィンの歴史】20世紀に事態を急変させた3人の男

一度は途絶えたかに見えたサーフィンの歴史でしたが、1900年代になると、ある2人の男がきっかけで事態は急変します。

その3人とはアレクサンダー・ヒューム・フォード、ジャックロンドン、そしてジョージ・フリースです。

複数の雑誌の執筆に携わったジャーナリストのフォードと、有名な本作家のロンドン。

2人は1907年、ハワイのワイキキで出会いました。

フォードはハワイでサーフィンと出会い魅了されていました。そんな時にハワイにやってきたロンドンに、サーフィンのすばらしさを伝えました。また、その時に地元の有名サーファーであるフリースとも出会います。

結果として、ロンドンは「A Royal Sport: Surfing in Waikiki」を執筆。フォードやフリースとサーフィンをした時の様子を交えたその内容は『The Lady's Home Companion』『The Cruise of the Snark』に掲載され多くの人にサーフィンの魅力を伝えました。

フォードもアメリカの有名雑誌でサーフィンの素晴らしさを記しました。

この行動が、風向きを大きく変える事になります。

 

【サーフィンの歴史】カリフォルニアにサーフィンを伝えた男

まず、雑誌や本の読者が、ワイキキの人々のサーフィンを一目見ようと、多くの観光客となりワイキキに訪れました。

また、雑誌内のフリースに関する記述が、鉄道事業や不動産事業を営む大事業家のヘンリー・ハンティントンの目に留まりました。

ハンティントンは、

「南カリフォルニアの鉄道敷設の後押しの良い宣伝になるかもしれない」

と考え、なんとフリースをカリフォルニアに招待。

彼が多くの人々の前でサーフィンを披露した事で、カリフォルニアでもサーフィンの知名度が一気に高まる事になります。

(その後彼は、世界初のプロサーファーとなり、またカリフォルニア初のライフセーバーとして、生涯で78人の命を救いました)

 

【サーフィンの歴史】フォードが「アウトリガーカヌークラブ」を創設

1908年、フォードはクイーンエマエステートの評議員に、

  • 毎年サーフボードとアウトリガーカヌーのカーニバルを開催
  • イベントとして定着させる事で、ワイキキをサーファーの聖地となり、地域経済に貢献する

事を条件に、ワイキキに、サーフィンとアウトリガーカヌー振興クラブのための土地を確保するよう請願しました。

なんとそれが無事に受諾され、1908年5月1日、「ハワイアンアウトリガーカヌークラブ」が設立されました。

クラブでは、海岸に着替え用のスペースとボード収納用の芝生小屋を設置したのです。

ここからは、あの伝説のサーファー「デューク・カハナモク」の偉業を紹介します。

 

【サーフィンの歴史】伝説のサーファー「デューク・カハナモク」

1912年、水泳の3回世界記録を出していたハワイのサーファー「デューク・パオア・カハナモク」は、スウェーデンのストックホルムで開催された夏季オリンピックに向けて南カリフォルニアに訪れた際、サーフィンをしました。

彼のサーフセッションは、見た人々に大きな衝撃を与えました。

デュークは1916年にオリンピック金メダルとなり、世界的に有名になった後、ハリウッドに進出し役者としても活躍。週末には、ハリウッドの友人たちをサーフィンに連れて行きました。

 

【サーフィンの歴史】オーストラリアにサーフィンが広まる

1915年、デュークはオーストラリアのニューサウスウェールズ州水泳協会から招待され、シドニーで水泳を披露しました。

その渡航の際、デュークがアライアボードを作りサーフィンをすると、人々は大興奮。

これが、現代まで続くサーフィン大国オーストラリアを生むきっかけとなりました。

(この頃には、アウトリガー・カヌー・クラブは1200人ものメンバーが所属するほどまでに規模を拡大していました)

 

【サーフィンの歴史】第二次世界大戦とサーフィン

ハワイ・カリフォルニア・オーストラリアで少しずつ広まっていったサーフィンですが、第二次世界大戦の影響を受け、ハワイとカリフォルニアではその規模が縮小していきました。

一方で、皮肉な事に、戦争がきっかけでハワイや太平洋へ訪れた多くの人々に、サーフィンが広く知られる事になりました。

 

【サーフィンの歴史】サーフィン写真・映画の誕生

  • ジョン・ヒ-ス ”ドック” ボールのフォトブック『California Surfriders 1946』
  • バド・ブラウンのサーフィン映画『Hawaiian Surfing Movie 』(1953年)

をはじめ、世界中でサーフィンを題材にした写真や映画などの作品が生まれ始めました。

この頃から、サーフィンは一部の変わり者が行う「曲芸」のようなものではなく、すっかり市民権を得た「スポーツ」としての地位を確立していきます。

 

【サーフィンの歴史】世界的ヒット映画『エンドレス・サマー』

1964年に公開された不朽の名作『エンドレス・サマー』。

アメリカ国内で当時の金額で500万ドル、世界で2,000万ドル(現在の貨幣価値に換算すると1.7億ドル程度)もの興行収入となる大ヒットでした。

詳しくは以下をご覧ください。

あわせて読みたい

【サーフィン映画『エンドレス・サマー/終りなき夏』解説】サーファーの夢を描いた名作【ネタバレ有】

1966年に世界で公開。サーファーで知らない人はいない位有名なサーフィン映画が『エンドレス・サマー』(邦題:終りなき夏)です。 二人のアメリカ人サーファーが世界中を旅行してサーフィンをする様子を描いた ...

続きを見る

 

【サーフィンの歴史】サーフィンは「文化」「ライフスタイル」だ

最後までご覧いただきありがとうございます。

歴史を見てみると、改めてサーフィンは、単なるスポーツではなく「文化」そして「ライフスタイル」そのものであるという事が分かりますね。

時代が変わっても人々に愛され、長きに渡り歴史があるサーフィン。

いかに魅力的なスポーツか分かりますね。

ちなみに僕は、宗教もライフスタイルの一種だと思っています(僕は無宗教ですが)。

あわせて読みたい

Amazon倉庫で働くイスラム教徒の「礼拝時間が取れない」という抗議は”甘え”か?

イスラム教徒94%の国セネガルで迎えた5回目のクリスマスイブに、以下の記事を読みました。   Amazon倉庫で働くイスラム教徒が礼拝時間の取れない「不公平」な勤務体制に抗議デモ ガジェット ...

続きを見る

(当記事の参考文献)

Were People in China Riding Waves Over 1,000 Years Ago?

The History of Surfing From Captain Cook to the Present

THE FORGOTTEN SURFERS OF 10TH CENTURY CHINA

The History Origins of Surfing Paddleboarding

Surfing "A Royal Sport"

Peru Surfing History

もっとよく知りたい方は、以下の本をご覧ください。

▼ 関連記事 ▼

  • この記事を書いた人

セネガル山田(セネ山)

西アフリカのセネガルで宿「シェ山田」を運営しつつ、1日6時間・週5日のサーフィン生活満喫中|セネガルサーフツアー「セネサーフ」好評受付中|セネガル観光ラップで晋平太コラボ&TV出演も|著書『アフリカ旅行ガイドブック セネガル』|詳しいプロフィールはコチラ

Copyright© アフサーフ , 2024 All Rights Reserved.