(第1話はコチラ)
充実した小学校生活を経て、中学校へ入学。
いじめられて、しばしば涙を流すようになりました。
今からは考えられませんが(笑)、当時の私は超のつく真面目人間。そのために同級生から疎まれる事も少しずつ増えてきていました。
学年一背が小さく非力なのに、脅されても言う事を聞かない。ワルっぽいグループからは虫の好かない奴という事で目を付けられていたようです。
事あるごとに嫌がらせをされました。
意味もなく突然腹を殴られたり。数十発近く蹴られた事も。
毎日頭に消しゴムのカスやシャーペンの芯をふりかけられたり、上履きや教科書がゴミ箱に捨てられていた事もありました。
これをご覧のあなたは、シャンプーをしていて、シャーペンの芯が指に刺さった事はありますか?僕はあります。
(他にも色々あったと思いますが、あまり思い出したくありませんし、嫌な事だからか当時のそうした記憶があまりありません。人間の記憶って上手くできているなと思います。)
部活は野球部へ入りました。部活はとても楽しく充実していました。
課外活動として英語のスピーチコンテストに出場したりしました。
その後、生徒会長へ立候補して落選。ちょいワル系のイケメン(笑)が当選しました。
思えばこれが人生初の挫折だったかも知れません。
いじめられていた事と相まって、この頃から次第に
「目立たないようにしよう」
と思うようになりました。
また、小学6年生の少年野球の最後の大会の時に初めて坊主にして以来、徐々に髪質が代わり、髪が太くなりうねるようになってきました。
中学校では野球部でずっと坊主だったのですが、引退後伸びて来た髪はなぜかもじゃもじゃ。
この頃から
「チ○毛みたい」
「おいチ○毛」
とからかわれ始めました。
野球を続ける中で、次第に腰が痛むようになりました。
高校受験の勉強時は、あまりの腰痛にイスに座って机に向かう事ができなくなり、ソファーに寄りかかった状態で画板を使って勉強していました。また、ひどい鼻炎で1年のうち半分以上は鼻がつまっている状態で、毎日鼻をかむのに1箱近くティッシュを使っていました。
高校は、家が近い事(自転車で5分。気分はスラムダンクの流川)、学力的にちょうど良い事(2018年の偏差値は68。「みんなの高校情報」参照)などを理由に、地元の公立高校に入学しました。
入部した野球部では、体育科(普通科・体育科・家政科がある学校でした)が幅を利かせていました。入部当初15人ほどの部員がいましたが、普通科の部員はいじめや嫌がらせの対象となり次々と辞めていきました。
私もご多分に漏れずその対象となりました。真冬にパンツ一丁で一時間以上部室を締め出された時は苦しかったです。
毎日、家に帰っては泣くような生活を送っていました。
「学校に行きたくない」
と頻繁に思うようになりました。
両親は「そんなに辛いなら休んだら?」と言ってくれましたが、休む事はできませんでした。
真面目で学校以外の世界を知らなかった私は「学校を休むのはいけない事だ」と強く思っていました。また、学校という唯一の居場所を失う恐怖心も感じていたのかもしれません。
両親曰く「毎日思い詰めたような顔をしていた」そうです。
そんな辛い時期を支えてくれた両親に、とても感謝しています。
野球を続けたい一心で耐えていましたが、とうとう2年生の夏休みに退部。
僕が最後の退部者でした。辞めた時には同級生部員は半分にまで減っていました。
退部後は、いわゆる帰宅部の高校生としてひっそり生活していました。
この頃からよく図書館に通いはじめました。
そこで偶然手にした船井総研の船井幸雄氏の本を読み、経営コンサルタントという職業に興味を持ちました。
元々小学校時代の恩師に憧れ教師になろうと思っていた僕でしたが、
「社会に出ていく子ども達に教えるには、まず自分が社会を知る必要がある」
と考えを改め、経営コンサルタントを目指す事にしました。
スポーツが大好きだった僕。何か運動がしたくて仕方ありませんでした。
そこで、部活を辞めた高2の夏、サーフィンを始めました。
おじの経営するサーフショップが自宅から徒歩圏内にあった事が大きなきっかけです。
そこでは、中学校時代から僕に嫌な事をしていたような、いわゆるヤンキーのような雰囲気の同い年の人達と知り合いました。
話してみたらすっかり意気投合。家が近所だった事もあり、毎日のように会って遊ぶようになりました。
中学校・高校では、いじめをしてくる人以外からもいじられる「いじられキャラ」的なポジションの僕が、彼らの中では、僕のサーフィンへの取り組み方から「ガッツと根性のある奴だ」と言われ、いい意味で一目置かれる存在となっていました。
「僕自体は何も変わっていないのに、環境によって周囲からの評価はこんなに違うのか」
と本当に驚いたのを覚えています。
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そんな楽しいひと時も終わりを迎えます。
年末に、家族で行ったスキー旅行で足を全治3か月の大怪我。
サーフィンは辞めざるを得ませんでした。
また、ひどい鼻炎の改善のため、鼻の粘膜を焼くレーザー治療などを受けました。
そして、近づいてくる大学受験。
高校入学後、一気に勉強ができなくなっていた私。英語や数学の偏差値は30代位からのスタートでした。得意だったのは国語と社会。一番苦手だったのは数学でした。
両親からは「国立しか行かせる事はできない」と言われていた私。経営コンサルタントへの漠然とした憧れから、国立大の経済・経営系の学部を目指したため、数学は必須でした。
最終的には英語、国語は偏差値70位、数学は60位になりましたが、数学の記述式問題がさっぱり解けません。
結果、第一志望の国立は不合格。
受験シーズン直前になり、「万一落ちた時のために」と親が受けさせてくれていた法政大学。どこにあるのか受験直前まで場所も知らなかった、まったく興味の無い大学に入学する事になりました。
(なお法政の合格通知を棄てようとして、それを見つけた親にすごく怒られました。)
以上のように、大学入学前、僕は中・高での辛い経験との対比から「小学校時代が僕の人生のピークだ」と思っていました。
また、大学受験でも第一志望に落ち、
「これから人生が楽しくなる事はあるのだろうか?」
「自分は小学校時代の楽しかった思い出を胸に、一生を生きていく事になるのかも知れない」
と暗い気持ちでいた事を覚えています。
ですが、入学直前になり、
「どうせ法政なら法政でしかできない事をやろう」
「なんでもチャレンジしてみよう」
と半ばヤケになりながら、自分を励ますためにそのように思うようになりました。
そして入学直後。
私の人生を変える、衝撃の出会いがありました。
キャンパスのど真ん中で寝袋にくるまる一人の美女。
いったいあれは何だ!?
(つづく 第3話は12/26(水)公開)
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