チビアフ

【チビアフ第1話】大河ドラマの●●で失態--リンゴジュースで育った学年一のチビ

1987年(昭和62年)7月。

私は東京都稲城市(よみうりランドが近いです)に長男として生まれました。

生まれたて(母談)

 

持病のアトピーやアレルギー(卵、牛乳、花粉、ハウスダスト、ダニ等々)に加え、極度の偏食により病気がち。

親曰く、幼少期はほとんど食事を食べず、

リンゴジュースばかり口にしていた

そうで、糖尿病を心配されつつ育ちました。

 

大人と話すのが好きな、おしゃべりなこどもだったようです。

2歳の時にはひらがなが読めた(!?)そうです(父と一緒に見ていた少年ジャンプの影響かもしれません)。

 

幼少期は「劇団いろは」という劇団に通っていました。

大河ドラマのオーディションを受けた事もありましたが、おしゃべり好きがたたり、集団面接で他の人の質問にもすべて答えてしまい、面接官に

「ちょっと黙っててくれるかな?」

と言われたそうです(笑)

結果は落選でした。

劇団いろは所属時の宣材写真

 

5歳の時に妹が生まれ、同時に千葉県の京成勝田台駅(成田と船橋の間位です)にある母方の実家に引っ越しました。

下の名前が「カズマサ」と言うので、サッカーを始めて

「ボクは将来三浦知良(キングカズ)になる!」

と言っていたりしました。

 

そして小学校入学。先生に恵まれ、毎日が本当に楽しかったです。

身長は常にクラスで一番小さく、なんと…

小学校6年生で120cm台でした。

(親曰く、「6年間体操服のサイズが同じだったので経済的に助かった(笑)」そうです。)

小学校高学年の時。5歳年下の妹、7歳年下の弟とあまり身長が変わらない…

 

ですが、声は人一倍大きかったようです。

親とよくカラオケでYAH YAH YAH(CHAGE and ASKA)と歌っていたからでしょうか ←

 

それもあり(?)、運動会の応援団長、学級委員、劇の主役、音楽会の指揮者や生徒会議長など、ありとあらゆる事に積極的に参加しました。

2年生の頃に始めた少年野球も楽しかったです。ボジションはキャッチャーとショートでした。

 

曲がった事が大嫌いで融通のきかないマジメ人間でしたので、友人から煙たがられる事も少なくなく、よくケンカもしました。その頃から、少しずつからかいのターゲットとなってきました。

 

(つづく 第2話はコチラ

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セネガル山田(セネ山)

西アフリカのセネガルで宿「シェ山田」を運営しつつ、1日6時間・週5日のサーフィン生活満喫中|セネガルサーフツアー「セネサーフ」好評受付中|セネガル観光ラップで晋平太コラボ&TV出演も|著書『アフリカ旅行ガイドブック セネガル』|詳しいプロフィールはコチラ

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